成人式の「後撮り」ロケーション撮影を致しました👘
瑜伽神社に到着すると日差しも出てきました。
お参りもちゃんとしましょうね🙏
風情のある格子戸の前で「パチリ📷」
天神社は高台にあるので奈良平野を見渡せる景色のいいところです
浮見堂では貸切状態でゆっくりと撮影は進みました。
目次
静かにゆったりとした時間が過ぎていきました。
【浮見堂】
奈良公園・鷺池に浮かぶ檜皮葺き(ひわだぶき)、八角堂形式(六角形)のお堂です。水面に写る姿が美しく、水辺の憩いの場となっています。
現在の浮見堂は、旧浮見堂が老朽化したために、平成3年から平成6年にかけての3年間の修復工事によって、その美しさを今によみがえらせました。
春日大社より浅茅が原の林をぬけて行くとつきあたります
「着物あそび にっこり」からは5分くらいです。
瑜伽神社は、当店の北側にあります。
瑜伽神社 【ゆうがじんじゃ】
境内には奈良時代大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)が元興寺の里をながめてよんだ歌碑があります。
社伝によると飛鳥神奈備が平城奠都とともにこの地に移り、この山を平城の飛鳥山と呼んだという。
もとは元興寺禅定院の鬼門除鎮守の社で、後に興福寺大乗院が山麓に建つに及び、その守護神として藤原氏等の崇敬を受けた。
『大乗院寺社雑事記』明応3年(1494年)12月30日の条に、「一後智恵光院殿御建立之分(中略)今宮殿御殿 同拝殿仮葺也」とある「今宮」は本神社のこととされ、飛鳥の元宮に対して今宮と呼ばれたとされる[1]。瑜伽神社と称するようになったのは比較的最近のこととしている。
瑜伽神社の東側に天神社はあります
略縁起では、承保5年(1078年)の草創とされている。
後に、元興寺禅定院鎮護の社、興福寺大乗院の鎮守社となった。
祭神はもともと少彦名命であるが、この神は手間天神(てまのあまつかみ)という別名を持つことより、一般にてまてんじんと呼ばれた。
後に奈良のゆかりの菅原道真公を相殿に祀るようになった。
社伝によると、道真が祀られたのは平安時代、白河天皇の御世であったという。
嘉吉元年(1441年)5月6日、猿楽が執り行われた。
享保五年(1720年)10月24日夜、天満宮が焼失し、同6年5月に造替されている。